伝統と文化
都市生活クリエータブログ

歴史都市ウィーンを規範に文化都市<東京>を見つめ直すフォーラム(吉村實)

吉村實(Joshimura Minoru)/建築家

パリのシャンゼリゼ通りやウィーンの環状道路が何故美しいのか何時も考えます。それらが建設されたのはたかだか150年ほど前です。大戦による被災後も再建しその美しさを維持しています。また1200年の京都、300年の江戸は町屋という衛生的な美しい町づくりが行われました。翻って現代の東京を見ると、機能美といいながら行政や企業側の論理で町が出来、何処も近似になっています。そこには一方の価値観で、市民を含めた共通の価値観が見いだせません。それは不便さも美学的に納得されるものであれば文化として意味を持つものなのに、エトス(社会全体の共有の美学)と呼ばれるものが議論されない社会風潮に原因があるかと思います。市民社会の形成時に芸術家が関与し独特の街を作り上げたウィーンをモデルに現代の都市/生活環境を考える広場にしたいと思っています。

オットー・ワグナー1

2007年6月14日

 京都・南禅寺の塔頭・金地院の設計は小堀遠州(1579-1647)といわれている。方丈は狩野尚信や長谷川等伯の障壁画を持ち二条城から移築した遺構であるが、鶴亀の枯山水庭園、三畳台目の茶室は彼の作である。また借景となる東照宮もまた彼の手による。この金地院は南禅寺の住持・崇伝のもので、本来なら幕府作事奉行が手を貸してはいけないものであったが、今日のアルバイトとして設計を行ったようである。崇伝は天海と共に家康の宗教顧問で豊臣家征伐の切っかけとなった「国家安康」の銘文に言いがかりをつけたことで有名である。
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<日光東照宮陽明門>          <南禅寺・金地院 鶴亀の庭>

 秀吉の家臣であった小堀新介の長男として近江・長浜に生まれ、家督を継ぎ1608年に遠州(現静岡県)の大名になったため小堀遠州と呼ばれるようになった。幼少の頃から茶道に親しみ、千利休の高弟古田織部に弟子入りし、将軍からその審美観を認められ幕府作事奉行を任命される。また織部亡き後将軍家の茶道指南役にもなる。茶人として遠州好みという独特の色合いは綺麗寂びといわれたが、一方では家康をまつる日光東照宮の絢爛豪華な権現造り、徳川幕府の京都の居城・二条城二の丸、江戸城本丸、二の丸等江戸幕府の各施設を手掛けている。
 遠州は徳川二代秀忠、三代家光に使え公家・武家の間に立ちこの時代の表現を一手に担ったのである。仕事の量から彼個人が全てに図面を書いたとは俄に信じがたいが、多くのデザイナーと呼べるブレーンがいて、プロデューサーとしての役割であったであろう。西欧流職能としての建築家を超えた仕事ぶりであった。権力の中枢にいて時代の表現を、都市計画の施設配置計画から生活什器の茶器に至るまで彼の美学を通し、総合芸術としての建築・環境を意識した希有な建築家・デザイナーであったといえる。(もっと芸術家としての評価をしてもいいのでは?と個人的に考えます。)日本各地に遠州作、伝遠州作が点在するがその影響力は大きい。

 遠州と同じように大きなビジョンを持った建築家として19世紀の後半のウィーンの都市改造から都市生活者の在り方に貢献した建築家の登場がある。オットー・ワグナー(Otto Wagner  1841-1918)である。オットー・ワグナーは、ビーダーマイヤー時代の後半閉塞気味に安定していた時代がやがて市民がメッテルニッヒ宰相追放の三月革命(1848)に向かって市民意識の覚醒が始まっていた1841年にウィーンのペンツィングに、ハンガリーの宮廷公証人のルドルフと宮廷書記官の娘であったスザンネの間に生まれた。オットーが五歳の時父を亡くし、母は経済的安定のため賃貸住宅に建てることを考えその設計をテオフィール・ハンセン(Theophil v. Hansen 代表作に国会議事堂 証券取引所)に委託している。母は法律家にしようとしたが余り馴染めず渋々文科ギムナジウムを卒業し、16歳でウィーン工科大学に学び更にハンセンの勧めもあってベルリン王立建築アカデミーに学ぶ。多感な青年期にウィーンでは既に環状道路を中心として都市改造が進んでいた。1857年にフランツ・ヨーゼフ皇帝
の都市壁の取り壊しの号令が出され、ルードヴィッヒ・フェルスター(Ludwig Forster 1797-1863)の環状道路計画提案が1859年から実施されていた。ハンセンの助言でベルリンではシンケル派の新古典主義を学び、1861年にウィーンに戻り、ウィーン美術アカデミーで、ウィーンオペラ座(1861-69)の設計者ジッカルツブルグとニュウルの元で学び古典建築の基礎を学習している。
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<26歳のオットー・ワグナー> <1900年頃のアトリエの0・ワグナー>

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<水門管理人の家 1906-07  0・ワグナー設計>

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