まちづくり・フェスティバル
都市生活クリエータブログ

防犯と都市(古田マリ)

古田マリ(Furuta Mari)/建築家

犯罪をデザインで防ぐという環境防犯設計の調査研究中。
犯罪者は他人に見られるのを嫌うが、こういった心理をうまく利用して
犯罪が起こる確率を低くするのが防犯設計の基本的な考え方。
領域は建物から都市計画まで広い範囲に及ぶ。

江戸時代の防犯

2007年9月 9日

今回は、江戸時代の防犯対策についてです。

江戸時代、現在の警察に当たる幕府の機関には奉行所がありました。よく時代劇に出てきますが、南町奉行所と北町奉行所、この二つ(奉行は全部で二人)です。奉行所は一月おきに交代で業務を行っていました。奉行所の下には50人の与力、さらに与力の下に同心240人が仕え、奉行を入れると奉行所に所属する役人は全部で292人となります。江戸が百万都市だったことを考えると、292人とはかなり少ない人数ですね。

幕府の役人である同心の下には、住み込んで十手を持ち手伝いをする小者がいました。他にも同心から証明書である手札を貰って働く民間の手先として、岡引(普段は別の仕事をしている)、目明し、目明しの子分である密偵である下っ引、御用聞きなどがいました。

どう考えても、人手不足なのは明らかで、実際の町の警備は民間の自衛組織に頼っていました。民間の自衛組織は、町年寄をトップに町名主さらにその下には家主からなる五人組で構成されており、町年寄、町名主は世襲制、家主は様々な階級の出身者でした。ここで言う家主は、家の所有者という意味の家主ではなく、単なる管理人です。年2両2分の給金と農民から貰う管理長屋の肥溜めの売却代金で生活していました。

町には、それぞれ一軒ずつ自身番という自衛組織がありました。自身番とは各町内の木戸際などに設けられた小屋(番屋)での警備のことをいいます。当初は、町の家主自身が当番で詰めたことから自身番の名前があるそうです。住人が交代で番をすることになっており、交番兼自治会のような働きをしていました。番屋内には捕物道具が備えられており、不審者が町内に入った場合は捕らえ、巡回の岡引に引き渡す場所でした。
(図版は、著作権の問題で載せられませんので、イメージイラストです。)
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木戸番は町境に設けられた木戸の番人を言います。町の出入口には木戸があり、木戸番が商いをしながら住み込んでいたのです。木戸は夜の四ツ時(午後10時)頃に閉められ、それ以降は木戸番が許せば左右の潜戸から通行させる仕組みでした。その際には必ず拍子木を打って、次の木戸に通行人が向かうことを知らせたそうです(送り拍子)。
これぞ封建社会でのゲートコミュニティ、がしかし、正直、私はこんな町には住みたくないですね。あそこの住人は昨夜は午前様だっただの、チェックされたくないですので…。隣に誰が住んでいるのか分からないというのは、都市の良いところでもあります。住人の監視の目を取り入れるというのは、個人主義や都市の自由さと逆行するときもあります。人が出来ないことは機械に任せるというのが解決の一つでしょう。

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