伝統と文化
都市生活クリエータブログ

歴史都市ウィーンを規範に文化都市<東京>を見つめ直すフォーラム(吉村實)

吉村實(Joshimura Minoru)/建築家

パリのシャンゼリゼ通りやウィーンの環状道路が何故美しいのか何時も考えます。それらが建設されたのはたかだか150年ほど前です。大戦による被災後も再建しその美しさを維持しています。また1200年の京都、300年の江戸は町屋という衛生的な美しい町づくりが行われました。翻って現代の東京を見ると、機能美といいながら行政や企業側の論理で町が出来、何処も近似になっています。そこには一方の価値観で、市民を含めた共通の価値観が見いだせません。それは不便さも美学的に納得されるものであれば文化として意味を持つものなのに、エトス(社会全体の共有の美学)と呼ばれるものが議論されない社会風潮に原因があるかと思います。市民社会の形成時に芸術家が関与し独特の街を作り上げたウィーンをモデルに現代の都市/生活環境を考える広場にしたいと思っています。

フクロウ

2007年10月10日

 おおよそ25年前ほどからフクロウの小さいものを集めています。切っ掛けは海外旅行の折り財布に換金できない小銭が大体千円ほどあるとそれまではチョコレートなどを買っていましたが、飛行機の時間待ちで免税店ではなくスーベニアショップを歩くと、結構フクロウ関連のものがありました。それが気になり始めて、ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒの設計になる分離派館の外壁のレリーフを思い出し、ついでという軽い気持で買い始め現在はアトリエと自宅で7〜8百はいるのではないでしょうか。

 当時、フクロウは肉食夜行性故に我が国では伝統的にさほど可愛い鳥という扱いではなかったと思います。しかしながら欧米において、ギリシャ神話の知恵や芸術の神アテナイの従者として大事にされています。よく角帽を被り眼鏡を掛けたフクロウ博士は知恵の象徴として現れたのでしょう。時代が変わり、モチーフにされることが多くなりそのため至る所にフクロウがあり楽しみでコレクションし始めた訳です。

 分離派館はSECESSION HAUSの翻訳である。このSECESSIONとはラテン語の動詞SECEDO(別れる、反抗する)から来ていて、ラテン神話に若い世代が社会制度に反対し新しい制度を求めて山に立てこもった逸話に由来している。クリムトの初期の象徴主義的絵画表現はラテン神話からの引用が多く、その影響か建築においてもオルブリッヒの分離派館には現れている。この建物は新古典主義の当時の様式ではなく、ギリシャかエジプトの神殿を思わせるラテン文化からの着想を感じる。そしてこの建物が新しい芸術の殿堂として意味づけるかのように多くのイコンがレリーフとして現れている。玄関正面上部には、シュミコビッツの手になる再生、成長、死という生命の循環を意味する美の三女神、そして彼女らの髪の毛はディオニソスの従者で脱皮することから再生を表す蛇、またトカゲが玄関扉左右にへばり付いている。ヘルメスの従者である亀は正面左右の植木鉢を支えている。側面には月桂樹の木や花環、音楽の音符、そしてアテナイの従者フクロウなどがあり、背面にはK・モザーの踊る少女達の絵(現在はない)が配置された。
 正面左翼にVER SACRUM(聖なる春)と謳い、新しい時代の幕開けを高らかにレリーフ文字で示し、側面、背面でそれが芸術によって行われると伝えているのである。

 そのフクロウを、ワグナーを中心にオルブリッヒとホフマンが並んでいるのか、クリムトを中心にモザーとホフマンが並んでいるのか、そんなことを考えながら見るのも楽しみの一つにしています。ウィーンに興味を持って以来、ウィーンのみならずそれ以外の都市、また国内旅行でもその土地らしい作り方で特徴のあるものを集めるようになったのです。

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分離派鑑正面

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分離派館東面 フクロウの像が見える

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自宅のフクロウ・コレクションの一部

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アトリエのフクロウ・コレクションの一部

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自作のフクロウ

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