伝統と文化
都市生活クリエータブログ

歴史都市ウィーンを規範に文化都市<東京>を見つめ直すフォーラム(吉村實)

吉村實(Joshimura Minoru)/建築家

パリのシャンゼリゼ通りやウィーンの環状道路が何故美しいのか何時も考えます。それらが建設されたのはたかだか150年ほど前です。大戦による被災後も再建しその美しさを維持しています。また1200年の京都、300年の江戸は町屋という衛生的な美しい町づくりが行われました。翻って現代の東京を見ると、機能美といいながら行政や企業側の論理で町が出来、何処も近似になっています。そこには一方の価値観で、市民を含めた共通の価値観が見いだせません。それは不便さも美学的に納得されるものであれば文化として意味を持つものなのに、エトス(社会全体の共有の美学)と呼ばれるものが議論されない社会風潮に原因があるかと思います。市民社会の形成時に芸術家が関与し独特の街を作り上げたウィーンをモデルに現代の都市/生活環境を考える広場にしたいと思っています。

クリムト1

2007年10月26日

 父エルンストが8歳の時、ボヘミアのドブラニッツからウィーンに引っ越してくる。祖父の代から彫金師の家庭であった。オペラ歌手を夢見ていた母アンナ・フェンスターと結婚し、7人の子供をもうける。第二子長男がグスタ・フクリムトでウィーン郊外(現在は市域)のバウムガルテンで1862年(―1918)に生まれる。決して家庭は裕福ではなく、次男のエルンスト(1864-1892)、三男ゲオルグ(1867-1931)らは家計を助けるべく芸術的技術を早くから手にし、クリムトは14歳にして応用工芸学校の奨学金を得て入学する。

 この1880年代は既にフランツヨーゼフ皇帝の号令による都市改造が始まっており、多くの都市施設が建設中で、その仕事を求めて地方から人が集まっていた。大変活気のある都市の風景である。フランツヨーゼフ皇帝が1848年に即位し1857年には都市改造の号令が出され、環状道路と環状道路様式と呼ばれる歴史的様式の引用による建築物が建設されていた。このような折衷様式は、貴族やブルジュアジーの嗜好で建築のみならず絵画彫刻もまた歴史的寓話がモチーフとされた。画家にはそのような歴史的知識が必要であった。それはあたかもウィーンが、ルネッサンス、バロック文化を継承しているという証でもあった。クリムトもまたそのような仕事を得るべく研鑽していた。

 この頃の絵画の大立者はハンス・マカルト(HANS MAKART 1840-1884)である。ザルツブルグ生まれでミュンヘンにおいて学び、絵画の成功で皇帝フランツヨーゼフ皇帝によってウィーンに招聘される。1879年にはウィーン美術アカデミーの教授に就任し歴史絵画の教授になり、環状道路に建設される公共施設の天井画や壁画を担当する。そこには特徴として過去の歴史的寓話に周辺の生活様式の研究から、市民に理解できるその寓話の面白さ、説得力を持たせた。また貴族階級のサロンに出入りして肖
像画を沢山受注する。この肖像画にも寓話的な色合いを持たせより顧客である人物がより引き立つ構成で人気を博した。その際描かれた服装がファンションとして市民に受け止められたというエピソードを持つ。また自らのアトリエをサロンとして開放し、絵画から市民に単に絵の面白さだけではなく、その絵画世界が<総合芸術化>としての意味合いを持たせ方向付けをする役割を果たしたという説もある。彼の描く絵は市民の注目の的で人気のある画家だった。

 クリムトが学んでいた時代は画壇のリーダーはまさしくハンス・マカルトであった。

 クリムトは1879年から弟エルンスト(ERNST KLIMT 1864-1892)と学生時代知り合ったフランツ・マッチュ(FRANZ MACHE 1861-192)と3人で活動を開始する。そしてチェコの療養所や市民劇場の天井画を手掛けた。天井画とは別に1881年に「寓意と象徴1」という教則画集の挿絵の依頼を受け、個人的な歴史研究の中から絵画のモチーフの意味を重厚に学習することになる。
 クリムトは1883年(21歳)に弟エルンストとフランツ・マッチュと3人で正式に美術家商会(キュンストラーカンパニー)を設立し、ブルグ劇場の天井画を1886年に受注する。歴史主義芸術に忠誠を誓いながら、アカデミックな自然主義で描いた。大理石粉を漆喰で下地を作り、そこに直接油絵を描くスッタッコ画法で2年費やした。これは好評で1888年に金十字勲章を受けるほどその実力は高く評価された。

 クリムトは1890年にはマカルトが手掛けていた美術史美術館の階段ホールの仕事を受注する。マカルトが1884年に急逝し後継の画家として指名されたのである。
 ウィーン画壇のリーダーとして認められたのである。


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グスタフ・クリムト 46歳の時の肖像写真


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座っているエルンストとマッチュ 1887年頃
歴史的な衣装を身につけ自らモデルのなっている


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寓話 1883年


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ブルグ劇場の天井画「シェークスピアの劇場」1888年


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美術史美術館の階段ホール
上部がハンス・マカルト 下部がクリムト担当

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